「素質がある」と聞くと「持って生まれた能力」のように感じますが、
何の努力もせずに物事を成し遂げられる人などめったにいないはずです。
それよりも、むしろ、「あきらめない」基本行動が習慣になっていることの方が遥に大切なことだと思います。
あきらめない気持ちがあっても、それを行動として実践しなければ何をやっても思いが形になりませんね。
そうなると、やっても楽しくないから「や~~めた」という短絡的逃避に向かうことはあっても、もっともっと突き詰めていきたいという探求心や成長欲がその影を失うでしょう。
子供時代に初めて自転車に乗れた日のことは、はるか昔の出来事となった今でもその日その時の光景がそのまま映像となって甦ります。
乗れた瞬間の喜びを味わうことのできるのは、何度も転んでは立ち上がり、やっとできそうになってもまた転びを繰り返したからですね。
魚釣りをする人は釣れた瞬間の何十倍もの時間をどうすれば釣れるかを工夫しながら、えさを変え、場所を変え、やり方を変えてその向こうにあるに違いない釣れる瞬間の手応えを楽しみにしてその困難な時を過ごすことをむしろ喜びと感じているに違いありません。
「困難」と「喜び」は表裏一体、同じことの裏と表なのですから、実際には困難があってこその喜びなんですよね。
そう考えたら、何の苦労もなければ、喜びもないわけで、その喜びの瞬間も味わうことなく途中であきらめてやめてしまうなどという「もったいないこと」はとてもできません。
多少の困難はあってあたりまえ、少々の困難に直面してもその困難の向こうにある喜びを味わおうと困難に立ち向かい、克服してしまうことを楽しむひとは、どんな道を歩いていてもその道を極めることができるでしょう。
あきらめるなんてもったいない!! 乗り越えることを楽しみましょう!!
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